04命を救う仕事につながっている~真のパートナーだからこそできること~

20th

命を救う仕事につながっている

藤田が10万円の軽自動車から始めたTERAは、翌年に法人化を行いスタッフも徐々に増えていった。第4回は、TERAがまだ従業員5名という規模だったころの話である。

TERAは、世界最大級の製薬企業が展開する研究所のWebサイト制作コンペに全社を挙げて臨んでいた。コンペに参加する競合の数は18社。何度も審査が行われ、最終的には東京の制作会社とTERA、2社の一騎打ちとなった。

プレゼンテーションの期日が間近に迫り、藤田と杉山を中心としたスタッフがオフィスで議論を重ねながら、その内容を詰めていった。そして、浮かび上がったアイデアを企画書としてまとめる作業が夜を徹して行われた。

そして当日。トップを含めた大勢の人達が見つめる張りつめた空気の中、プレゼンテーションが行われた。藤田はこのWebサイト制作にかける思い、込められたさまざまな提案を熱く語り続けた。大きく頷く顔を見て安心し、今度は質疑応答での厳しい突っ込みに答えていく・・・。

プレゼンテーションは終わった。
「ひとまずやるだけのことはやった。後は結果を待とう。」
外に出るとすでに日が暮れかかっていた。海沿いに建つ巨大な研究所を眺めながら、藤田は何か予感めいたものを感じていた。
「おそらく、ここからTERAの新しい時代が始まる。」

そして、予感は現実となる。数週間の後、藤田のもとに朗報が届いた。

藤田は月に何度も足を運び、先方の幹部たちと頻繁にミーティングを行っていた。そして、TERAのスタッフも取材や打ち合わせで頻繁に訪れていた。TERAはWebサイト制作をきっかけとして、パートナーとしての関わりを加速していくことになり、信頼関係を深めていった。
そんなある日、人事を纏めていた役員が話を切り出した。
「藤田さん。これからは広報だけでなく、人事コンサルティングもやってもらえないか。」

人事とは、企業にとって根幹ともいうべき重要な部分であることは言うまでもない。しかし、これまでの経験から営業や広報の戦略には自信があったものの、人事のコンサルティングは手掛けたことがなかった藤田は、驚いて尋ね返した。 「それは光栄ですが、特に採用や人材教育について学んできたわけではない私に、なぜそんな重要なことを任せようと。」

役員は藤田の顔をじっと覗き込むように話し始めた。
「ご存知の通り、われわれは国内最高レベルの大学院を出た学生を多く採用しており、優秀なスタッフとはどんなものか、分かっているつもりです。しかしその眼から見ても、TERAのスタッフの方々にはいつも驚かされる。一体どんな採用と教育をしたら、あれほどしっかりとしたスタッフが育つのか。そこに私たちが計り知れない何かがあると感じたのです。藤田さん。そのノウハウを、ぜひ弊社にも活かしてほしい。」

「分かりました。」

藤田は頷き、同社の人事コンサルティングも併せて手がけることになった。Webを核としたこれまでにない採用戦略とコミュニケーション強化のためのイントラ構築の始まりである。外への多面的なアピールはもちろん、内側においては、スタッフと幹部とのコミュニケーションを深めることで、企業の理念をスタッフ全員が共有できるような取り組みを行った。さらに、通常の関係なら言えない厳しい意見を、幹部はもちろんトップにも遠慮なく言った。その甲斐があり、次々に投下した取り組みは年を追うごとに着実に成果を上げていった。

そして数年が過ぎたある日、藤田は全体会議に出席していた。会議とはいっても、会場はステージと客席を備えた大きなホールである。そこで藤田は発表のため、役員とともに壇上に立っていた。 その時だった。トップがステージに上がってマイクを持ち話し始めた。

「我々は今まで多くの企業と取引をしてきました。しかし、その多くは『業者』といった関係です。藤田さん、『真のパートナー』と呼べる会社はTERAが初めてです。」

まったく予定になかったサプライズだった。

TERAの企業ビジョンが現実となった瞬間であり、藤田にとって何にも代えがたい最大級の賛辞だった。

その後トップは藤田と関わったスタッフ全員をパーティに招き、「私たちの素晴らしい業績は、ここにいるTERAさんのおかげでもあります。」と紹介した。そして、一人ひとりにこれまでの感謝を示す記念品を手渡した。それは、スタッフそれぞれの個性や関わった仕事に関連したものを、トップ自らが選びプレゼントするという、とても心のこもったものだった。

社員から送られる惜しみない拍手のなかで、藤田は起業を決意した日のことを思い出していた。
「企業にとっての真のパートナー会社を目指して始めた自分の理念は、正しかった。そして、これこそがTERAの進む道である。」そう確信したのだった。

しばらくしてTERAは、同社と協力しアメリカ国家機関との仕事に携わることになった。とある会場で打合せをしている途中、藤田の姿を見つけて握手を求めてきた人物がいた。相手方のディレクターだった。 藤田の手を握りしめて彼は言った。

「あなた方のおかげで、日本とアメリカの医療の発展が2年は早まりました。心から感謝します。」

私たちの仕事で、多くの命が救われるかもしれない。

それは、企業の代表として新しい人生を歩み始めたばかりの藤田に大きな勇気を与えた。そして、十数年が経った今もなお、決して消えない誇りとして胸の中に息づいている。

  • スタッフ全員が招かれたパーティの様子
  • 当時のプレゼン風景