01逆境を覆した日本初のデジタルカラー印刷~藤田・杉山の初仕事~

20th

逆境を覆した日本初のデジタルカラー印刷

1990年。業務用専用機の時代を経て家庭用パーソナルコンピュータの普及が始まり、アナログからデジタルへと急速に移り変わろうとしていた。当時、国内最大手のデザイン機器・材料販売会社で営業の最前線を束ねていた藤田は、MacintoshやAdobe製品などの登場によって、デザイン業界にもその流れが及ぶであろうことを予感していた。そういった社会全体の潮流のなかで、自分にできることは何だろうか?

そんなことを考えていた折、上司から声がかかった。「藤田、どうしても、この日にイベントを開きたいんだが・・・。」そう言いながら指さしたカレンダーの日付は三週間後。集客を考えれば、二週間前にはDMでイベント告知を行わなければ間に合わない計算である。「言い難いが、一週間以内で告知用のカラーDMを作ってくれんか。」その顔には「でも、無理だよな。」という諦めがありありと浮かんでいた。

営業として、取引先である印刷会社やデザインオフィスの状況をつぶさに見てきた藤田には、その難しさがはっきりと分かる。この時代、印刷物をつくるのには写植、版下、校正、製版、刷版と多くの工程を踏む必要があり、DM一枚とはいえ一ヶ月ほどの時間がかかるのが普通だった。そんな中、一週間でカラーのDMを作ることは、到底不可能だろうと思われた。

しかし、藤田は考えた。「いや。自分が注目しているDTPであれば、DMを一週間で仕上げることは可能なはずだ。理論上だけでなく、今の技術で本当に現物をつくることができるかどうか、この機会に挑戦してみよう」と。

「分かりました、やってみます。」

この一大プロジェクトに挑戦するにあたり、藤田は真っ先に思い浮かべたある人物に協力を打診した。当時から藤田が最も信頼を置いていたデザイナー、杉山である。これが、後にTERAを立ち上げる藤田と、杉山がタッグを組んで行う初仕事となった。

杉山は藤田の思いをかたちにすべく、当時の環境では難しかった縦組文字やグラデーションを駆使したデザインに、果敢にチャレンジした。文字は縦組みができなかったが、丁寧に一文字ずつ並べた。グラデーションは自分で数値を入力して濃淡をつくる手法しかなく、デザイナーたちに敬遠されていた技術だったが、これまでにない表現を求めて積極的に取り入れた。最新鋭の機器を駆使して、持てる限りの技術を注ぎ、DMは画面の向こうで次第に姿を現してきた。

だが、最後の仕上げという段になって、彼らの前にもうひとつの壁が立ちはだかった。当時の環境では、モニターに映るグラデーションやフォントが実際とは大きく異なり、画面上での確認には限界がある。デザインを確認するには、高額な300dpiのプリンターで出力してみる必要があった。

ところが、このプリンターで一回の出力にかかる時間は、実に5時間以上。動いては止まり、また動いては止まりと、挙動は安定しない。やっとプリントされたものをチェックして、パソコン上のデザインに反映させる・・・。出力と反映を何度も何度も繰り返す。とてつもない根気を要する長い戦いは、昼となく夜となく続いた。

さらに藤田は、ちょうど4C分解した製版フィルムを出力できる最新機器・イメージセッターが初めて日本へ渡ってきたという情報を聞きつけ、この機械を使わせてくれるように直談判まで行った。「DTPによる日本初のカラーDM」を一週間で完成させるため、文字通り東奔西走の日々。これから変革の時を迎えるであろう、デザイン業界を導く力になりたい。ただその想いだけが、藤田を突き動かしていた。

そして、一週間後。

藤田のもとに、そのDMは確かに届いた。正真正銘、日本で初めてのカラーデジタル印刷のDMである。震える手で慌ただしく包装紙を破ると、そこから新時代の黎明を告げる光が見えた。

デザイン・印刷業界が大きく進化する、その契機となる確かな一歩が、ここに標されたのである。

  • 当時のカラーデジタル印刷のDM